初めての不動産屋探訪
賃貸物件情報の雑誌を読みながら一人暮らしへの計画を立ててどのくらい経っただろう。
いよいよ一人暮らしへの第一歩を踏み出す日がやってきた。
小さな一歩だが、一人暮らしへの大きな前進になったあの日。
その小さな一歩とは生まれて初めて不動産屋へ行ったこと。
雑誌で見つけたなかなか良さそうな気になる物件を電話で問い合わせてみたのだ。
電話すると若そうな男性の声が返ってきた。
雑誌に載っている物件のことを訊いてみると、一度店に来てくださいと言ってきた。
言われるままに来店の予約をとってその不動産屋へ行ってみることになった。
その日は会社が休みの土曜日の午後の昼下がり、いまでもよく憶えている。
とてもよく晴れた日だった。
店は自宅最寄り駅から電車で一駅先の街だった。
地図を見ながら駅から徒歩数分歩き、その店の前にたどり着いた。
雑居ビルの2階に店舗を構えるその店へ、狭い階段をゆっくりと上がった。
ドアを開けると明るい感じの店内から男性店員が現れた。
電話に出た店員のようだ。
やせ形でやや長身なスーツを着たその店員は年齢は20代後半といった感じを受ける。
その店員は椅子に掛けるように促して、資料を持って机の前に座った。
その店員によると、電話で問い合わせた物件はもう他の人に決まったのか、何の事情か忘れたが紹介できないとのことだった。
だったら電話でそう言ってほしかったな。
と思っている自分をよそにその店員はほかの物件の資料を何枚か自分の前に出して勧め始めた。
あの物件に似たようなのはこの部屋とかがお勧めですよ。
などと部屋の間取り図や家賃などが書かれたコピーを数枚見せながら紹介している。
見てみると、なるほどこれもいいかもしれないなと、興味を感じるが、家賃や築年数、場所などを見てみるとなかなか自分にピッタリの場所は見つからなかった。
他に良さそうな物件はないですかね。
と聞いてみると、「ご希望の家賃と場所から探すと紹介できるのはこのくらいですね」
と言っていた。
しかし、その時の私は失礼ながら、もっと他にいい物件があって店員が出し惜しみしているかのように思った。
そんな空気を察したのか、店員も「今紹介できるのはこれだけですね」と言ってきた。
これ以上粘っても仕方ないと思い紹介してもらった物件のコピーを参考に受け取り、店を出ることにした。
店を出て歩道に降り立つと太陽が西に傾きかけている頃だった。
その後駅周辺を散歩して帰ったのか、寄り道もせず家に帰ったのか、その辺の記憶は無い。
それもそのはずだ。25年も前の、ある一日の思い出なのだから。
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賃貸物件情報誌の間取り図に夢を膨らませる日々
一人暮らしを夢見ながら賃貸物件情報の雑誌を眺める日々がしばらく続いた。
仕事帰りにコンビニや書店でアパートやマンションなどの賃貸情報誌を買って帰ってはいつもページをめくって眺めていた。
不思議なもので、それらの雑誌にのっている間取り図を眺めているだけでも飽きることがなかった。
住むのならどこの街がいいかな。
やっぱり畳の和室より、フローリングの洋室がいいな。
などなど、一人暮らしへの夢は膨らむ一方だった。
安い風呂なしの和風アパートか、ちょっと頑張ってユニットバスのある洋風なマンションか。
そんな疑問を今は亡き父親にそれとなく聞いてみたことがあった。
父は安い風呂なしアパートが絶対にいいと言っていた。
若い頃の経験からそのように助言したのであろうか。
家賃が生活を圧迫することを充分知っていたからこその助言だったのだろうと思う。
しかし、自分はやっぱりユニットバスのある洋風な物件がいいなと思っていた。
これも若さゆえの、若いからこその欲求だったのだろう。
今振り返ると父のそんな言葉の意味も身に沁みてわかる。
そんな父ももういない。
ふだんの何気ない、どうでもいいような父との会話の思い出が、今は宝物のようにいとおしい。
1人暮らしを夢見ていたあの頃。
初めての1人暮らしは今から何年前の話になるだろうか。
あれは自分が成人式を迎えた年だったから、かれこれ25年も昔の話だ。
憧れの1人暮らし、期待は膨らむ一方だ。
当時はインターネットなどはもちろんないので物件探しはもっぱら賃貸物件情報の雑誌を見て探す方法が一般的だった。
思い返せば、いろいろな雑誌が出回っていたものだ。
それらの雑誌のページをめくっては間取り図をみて、これもいいな、あれもいいななどと、部屋探しを楽しんでいたものだ。
少ない予算で少しでも気に入った物件を見つけたいと物件探しをしていたあの頃。
もう遠い過去に過ぎ去ってしまったあの頃。
もう決して戻れないあの頃。
全てが懐かしく思い出される。